悟りへの階梯は、確実に現れ続けてい​る!   左藤滋光

痛ましい交通事故は後を絶たず、

つい先日大津市で、

散歩途中の保育園児たちの信号待ちの中に、

そこへ目掛けて、車が突っ込んだ。

恐るべき惨事です。

ひとたまりもないではありませんか!

園児2名の命は奪われ、

多数の負傷者を出したのです。

事故現場では、

花を手向ける人が後を絶ちません。

慰霊を捧げ、怪我からの回復を祈らずにはおれません。

私は昨日東京の集いで、

この事故について詳しくお話し致しました。

そしてこうして、

私達が出会えているのは、

命あってのことなのです!

生かされているのです!

このように訴えたのです。

理由があるのです。

私は、

38年前に命を失っていてもおかしくない、

即死の交通事故で絶命したとしてもおかしくない、

戦慄の出来事を持っているからです。

これからお伝えしたいと思います。

38年前、

その当時私はミニカ360という、

本当に小さな軽自動車で、

滋賀県から長野県牟礼のお寺に遠出していたのです。

そのお寺に滞在していた夜の6時頃でしょうか?

滋賀県の地元の村から、電話がかかってくるのです。

用件は在所出身の方が、嫁ぎ先で亡くなった。

葬儀については、

習わしとして出身の在所の寺の住職は出ることになっている、明日の昼にある、と。

お願いなのです。

私は滋賀に来てまだ半年ほどでした。

何も分かりません。

ここで最大限貢献しなければと、

即、受諾の返答をしたのです。

ところがその時—

大型台風の接近が予報されていた。

間もなく来るわけだ。

台風の前の静けさ—

まだ雨は降り出してはいない。

よぎる不安—

だが、

若さにまかせ、

長野県の山奥を夜8時頃出発した。

出発するなら今しかない、と。

今思えば、

無謀きわまりない。

出発して途中までは順調—

だが案の定、

風雨は強くなる一方、

大雨は激しくフロントガラスを叩きつけて来る!

暴風雨の真っ只中になってしまった!

ここはどこか!

どこまで来たのか!

前も後ろも右も左も全くわからない!

見えない!

何も見えない!

何一つ見えない!

得体がしれない真っ暗闇—

土砂降り大雨の中にいる。

聞こえるのは叩きつけの音だけだ。

もう車は動かせない。

止めるしかない。

道路のどこらへんに止めるか、

道路なのかさえもわからない。

恐怖のどん底に突き落とされた!

まだ左側に寄せられるのか!

崖から落ちやしないか!

早くしなければ!

交通事故にあったら大変だ、

ギリギリ道路の端に止めたつもり、

本当は分からない。

叩きつける大雨で何も見えないのだ、

分かりようがない。

ここら辺か?

これ以上左に寄せられるのか?

落ちないか!

恐怖の中、疲労はピークとなり、

深夜ウトウトしてしまう—

すると突然!

ゴーッ!!!

飛び起きた、

衝撃音と共に、

激しく小舟のように揺さぶられたのだ!

何だ?

すぐ傍を何か大きなものが突っ走った?

トラックか?

すぐに再び、

漆黒の闇の激しい雨音だけに戻る—

 

 

疲れ果てていた私は、

再びうとうとする。

目が覚めた時、

夜は明け雨は止んでいた。

ドアを開け外へ出る。

昨夜寺を出発して以来だ。

ボンネットに目をやる。

右側のサイドミラーがない?

あれ―どうしたんだ?

まもなく私の頭は動き出し、

深夜の事件を想起した。

戦慄が走る!

あれだ—ッ!

すれすれに走るトラックが、

ミラーだけを引っかけ、

引きちぎって、

突っ走って行ったのだ!

背筋が凍る、

ほんのわずかのハンドル加減、

ほんの何cmかの接近で、

私は即死だった—

車ごと引っかけられるからだ。

一瞬で死亡事故は起きるのだ!

恐ろしい出来事です。

だから、

人と人が出会えるという事は、

お互いが今日まで命があったからなのです!

今日まで生かされて来た命だからこその、出会いなのです!

東京で、

このように訴えた。

集いは夕方5時に終わり、

私は帰途に着いた。

5時18分頃—

参宮橋駅前の踏切を越えた。

私は、道行く人の中にあって、

あーッ!!と大声を出してしまった。

つい今しがた、

集いで語り明かした恐怖の体験談—

38年前の長野県から出発したその時、

その寺の住職だった H さん—

目の前を歩いて来ている!!

えーッ!

びっくり仰天!

このタイミングで、

出会うこと自体が、

あり得ないではないか!

誰だって、たまげる!

( 受付の伸光さんが私と同行していた。彼が証言してくれるでしょう )

私は教えられた。

この戦慄の体験は、

交通事故の警告として、

行動上の警告として語り継ごう、と。

そして、神足が効験したとも言えるのです。

これは、悟りへの実証です。

タイミング・時とは、

在りようが決まる、最終の決定ではないでしょうか?

自由に働き出すならば、

人生が創造される力、

運命が変わる力ととらえられます。

これは悟りの実証となります。

踏切での不思議は、

時が合ったからです。

このタイミングだから、

不思議として衝撃となり、

人のその後を変える。

その人に関わる人たちをも変えていく。

神足は、

悟りの力を現実に、

現して進んで行く、

こう気付き始めるものです。

今夜も感謝から!

和顔愛語のあなたが、

一番いい。

左藤滋光 合掌

左藤滋光  引き寄せから悟りまで

あなたは悩みを解決し 願いを叶えるのです。脳を自在に操るお坊さん (東京電機大学 町好雄博士の折り紙付き) 主筆。あなたを助ける、強力に現実化するブログ。

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