大阪北部地震の翌朝7時、高野山へ!  左藤滋光


週の始まりの18日・月曜日の朝、

通勤通学のごった返す朝7時58分、

大阪北部を震源とする、マグネチュード6.1の大きな地震が、

近畿エリアを襲ったのでした。

私は滋賀にいましたが、

立っているのが困難なほどの揺れようは、

23年前の神戸の大震災に次ぐものだったのです。

滋賀県のJRは、

琵琶湖線と湖西線が走っていますが、

朝の3時間そのまま、

止まったままの列車の中に乗客は閉じ込められ、

その後ドアが開き、

線路づたいに歩いて解放されたのでした。

電車が復旧したのは、

夜の9時以降でした。

近畿エリアでみますと、

全線の復旧なったは、

翌日の始発でした。

住宅被害は、千数百棟にのぼりました。

こんな時に、

集中豪雨、大雨の警戒情報が出されます。

それは、19日ではなく20日に現実となりました。

地震に大雨で、

この日の京都に向かう修学旅行、

団体のキャンセルは続出したのでした。

19日については、

見極めが迫っていました。

朝7時出発、

片道4時間、

大型バス30人超を乗せての団参が迫っていたのです。

私は、この 団参の代表・責任者だったのです。

地震の翌日ですが、、、

これは 2か月前に決まっていた行程なのです。

往復8時間をかけて行くー

行先は高野山。

段取りや打ち合わせはすべて終了していた。

さて、

どうなるかー

高野山までのルート・道路事情は問題なし。

高野山側の被害はなし、受け入れも問題なし。

大雨、集中豪雨はー

翌日にずれ込んだ模様。

よって、

予定通りの出発となったのです。

滋賀県のご一行は、

2年に1度、

遠出の研修を実施致します。

今回の高野山、

皆さんが初めて選んだので、

行くことになったのです。

このようなめぐりあわせに、

私はご挨拶したのです。

「大地震が来ると、恐れや不安を膨らますのではなく、

千年の災害の歴史に学べば、明日への防災になるのです。

高野山は、千年を超えて続く、祈りの聖地です。

この非常時に参らせて頂く事になったのは、

まさに、特別な意味を持つとしか言いようがありません。

明日への防災のお力を知恵を授かるのではありませんか、

こんなに力強く、有り難いことはないのです…… 」

明日へ続く


今夜も感謝から!

和顔愛語のあなたが、一番いい。


左藤滋光 合掌

左藤滋光  引き寄せから悟りまで

あなたは悩みを解決し 願いを叶えるのです。脳を自在に操るお坊さん (東京電機大学 町好雄博士の折り紙付き) 主筆。あなたを助ける、強力に現実化するブログ。

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