伏見稲荷大社の神変不可思議は、
全編後編2回に渡り、
詳細にお伝えする事が出来ました。
驚きの反響を頂きました。
今までこんな話は、
聞いたことがなかったからだと思います。
更に言えば、
展開していく様子が、
今までの見聞きの事例とは違って―
わからない―
頭に整理出来ない―
そんなショックのようなものが、
驚きにさせたのだと思います。
今日は更にあなたにぶつけたい話があるのです。
それを書きます。
昨年末は、
もう1つの神変不可思議が起きていました。
既にご承知の、
現代日本で今空海と、
尊称される山主様との邂逅です。
1200年前の弘法大師空海が再臨した!と。
それは凄まじい法力ゆえなのです。
が、それに止まりません。
90歳を超えても、
一回りの若さを保っていらっしゃいます。
つまり70代後半、と。
はからずしも、
ひざを交えて親しく、
宇宙の真理をお教え頂き、
高野山に大師より綿々と伝わる1200年の歳月を経た救済の土砂と、
酵素(若返り)までお授け頂いたのです。
ここから、
あなたにぶつけたいお話しになります。
実は、山主様の神変不可思議と、
伏見稲荷大社の神変不可思議は、
ほぼ同時に起きていたのです。
決して、
私の願望成就ではありません!
青天の霹靂、です。
言えば天の配剤なのです。
人間的な推察ではわからないです。
掛け持ちのようで、混乱しました。
天は私に何をお示しなさろうとしているのか―
この問いかけが、
私を無欲にさせました。
つまり、
無念無想だ、という事です。
私は意図的な思いは一切持たない、
何も期待しない、
徒手空拳で誠のみ、と。
なぜ、
同時進行で起きているのか!?
どう、
受け止めたらよいのか!?
この、
同時進行から―
違いを超えてよい。
超えても、
救済は確実なのだ―
この安心感が得られます。
超えた世界から素晴らしい救済は出現しているのだ、
むしろ、
素直にとらえた方がスッキリします。
仏教だ、神道だ、〇〇教だ、
私たちはいつの間にか、こだわってこだわって、
縛りをやってしまっているのではないか、
葛藤に、委縮に―
そうなるのは―
恐れからなのかもしれない…
本末転倒だ。
こだわり、縛りは、
〝 恐るるに足らず 〟
突き抜けよ!
その先に、真の神仏がお待ちだ―
救いのお示しと思えてなりません!
今夜も感謝から!
和顔愛語のあなたが、
一番いい。
左藤滋光 合掌
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